劉裕の生涯   

劉裕の生涯

20051120
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   年   出来事中国世界
1 363興寧1誕生。同時に母死亡。桓温北伐。
2 364 2
3 365 3
4 366太和1 哀帝死。廃帝立つ。
5 367 2
6 368 3異母弟・道憐誕生。
7 369 4 桓温北伐。慕容垂に敗れる。
8 370 5異母弟・道規誕生。
9 371咸安1 廃帝が桓温に廃される。
10 372 2父(翹)死亡。
11 373寧康1 簡文帝死。桓温死亡。
12 374太元1  ゲルマン民族の大移動始まる
13 375 2
14 376 3 前秦が北中国を制覇。
15 377 4
16 378 5
17 379 6
18 380 7
19 381 8
20 382 9
21 383 10 肥水の戦い。
22 384 11
23 385 12 謝安死亡。
24 386 13 拓跋珪北魏を建てる。
25 387 14
26 388 15
27 389 16
28 390 17
29 391 18 倭(日本)、朝鮮に出兵
30 392 19 大地震発生。
31 393 20
32 394 21 前秦滅ぶ。
33 395 22 北魏、後燕を破る。 ローマ帝国東西に分裂。
34 396 23 孝武帝愛妾に殺される。
35 397隆安1
36 398 2 晋の名族王恭が反乱。
37 399 3五斗米道の乱起こる
38 400 4
39 401 5五斗米道の軍建康を急襲。撃退。
40 402元興1桓玄によって劉牢之軍解体。
41 403 2 桓玄簒奪。楚帝を僭称。
42 404 3桓玄打倒のクーデタ決行
43 405義熙1 安帝復位。蜀叛乱。
44 406 2義符(少帝)誕生。
45 407 3義真、義隆(文帝)誕生。蜀討伐失敗。
46 408 4正妻・臧氏死亡。
47 409 5南燕討伐の軍起す。義康誕生。
48 410 6南燕を滅ぼす。五斗米道の軍再決起
49 411 7 五斗米道の乱鎮圧。
50 412 8劉毅を倒す。蜀討伐軍起こる。
51 413 9土断施行。義恭誕生。蜀を制圧倭王・讃、勅使を晋へ。
52 414 10
53 415 11司馬休之を討つ。義宣、義季誕生。
54 416 12北伐の軍起す。洛陽奪還。
55 417 13長安奪還
56 418 14宋国建つ(位は宋公)。安帝死。赫連夏、長安制圧
57 419元熙1宋王に任ぜられる。
58 420永初1禅譲。登極
59 421 2
60 422 3死去。

※参考:中公文庫「劉裕」吉川忠夫/巻末年表より


 年表はあえて年数を省略せずあらわした。上記から察していただけるとは思うが、劉裕が本格的に歴史上に姿を現すのは37歳、すでにその人生も後半に差し掛かってからとなっている。華々しい戦果を挙げている劉裕だが、その人生の大半は覇権の地盤作りに費やされていたと言うことがよく分かる(むしろそうならざるを得なかった、と言うのが正しいのだろう)。
 本などを読めばただ武功を上げ、そして微賤の出からついには極位にまで上り詰めたと言う、いかにもなサクセスストーリーがそこに展開している。だがその裏には、間違いなく地道で、しかし確かな積み重ねがあったのだ。
 年表上の空白の中に隠されたさまざまなエピソードこそが、後々の彼を作ったことは間違いがない。きっと若年時代の曹操にも匹敵するような物語がたくさん転がっていたのだろう。その物語が失われていることを嘆くばかりである。


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