劉裕頁-紹介   

劉裕頁-紹介

20051120
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【時代】
劉裕を紹介するに当たり、まずは当時の中国がどういう状況下にあったのかを整理する。メインステージとなった東晋(317-420)を説明するのには、三国志から下っていったほうが話がわかりやすいだろう。


三国の鼎立がの滅亡によって崩れ(263)、次いでが臣下である司馬懿の一族によって乗っ取られ西晋となった(265)。その西晋がを攻め滅ぼす(280)ことによって一旦は全土の統一が達成される。

その後西晋の皇族たちが帝位をめぐって内輪揉めを繰り広げはじめた。その争いには武力に秀でた騎馬民族の力が利用された。乱が進むうち皇族たちの力は弱まり、逆に騎馬民族たちの力は高まっていった。やがて主客の逆転が生じ、中国は騎馬民族たちが割拠する大争乱時代=五胡十六国時代に突入する(311)。

命からがら逃げおおせた晋の皇族は南に逃れ、逃れた先で新しく都を建てた(317)。これが東晋だ。つまり東晋王朝とは亡命政権であり、そのため国是としてはいわゆる「捲土重来」こそが至上となっていた。祖逖や桓温といった、東晋政権下で「名将」と号される将軍たちは騎馬民族たちに戦いを挑み、はかばかしい戦果は何も得られないまま歴史から消えていっている。そうして、時間ばかりがいたずらに過ぎていった。

劉裕が生まれた年は363年。人々に中原の奪回はもはや無理なのでは、と言うあきらめの気配が漂い始めていたとしてもおかしくはない辺りの時期である。


376年、それまで相食み合うだけだった騎馬民族たちが一人の首長を戴き、巨大国家を作り上げた。天王苻堅率いる前秦である。383年、苻堅はその巨大な国力を恃みとしていよいよ東晋制圧の軍を起こす。86万を号する軍勢は東晋領内の川、淝水にまで押し寄せてきた。対する東晋軍は名将謝玄率いる8万。この絶望的な兵力差を、しかし東晋軍は見事跳ね除ける。これが魏晋南北朝時代の合戦の中では赤壁と並んで名高い淝水の戦いである。

戦いの後前秦は崩壊、また東晋は外患の一旦の駆逐によりいよいよ内憂が膨らんだ(貴族たちの民を省みぬ豪遊、庶民らの反乱など)。結果としてこの戦いは中国全土を新たな争乱に巻き込む嚆矢となった。いよいよ国が、人が、千々に乱れゆく。かくて時代は新たな圧倒的カリスマの出現を待ち望む。後の時代に住む我々は、やがて歴史書に劉裕の名があらわれることを知っている。

   ◇    ◇    ◇

【劉裕の台頭背景】

劉裕は軍人上がりの皇帝である。軍役にて数多の功績を挙げ貴顕となった。前項で東晋についての紹介をしたので、次はその中で具体的にどのような動きが起こり、劉裕という傑物の活躍の場が用意されたのかを探ってみよう。


上の図には二本の矢印が引かれている。左回り(南下ののち東征)の線は、いわば赤壁ルートとでも呼ぶべきものである。三国志の時代、魏が呉を討たんと起こした軍の経路だ。続いてほぼ直線の線は淝水ルートとでも呼んでしまおう。前秦が東晋を討たんと起こした軍の経路である。

雑に言おう。大規模な軍の運用にあたっては、山系水系が大きくその進軍ルートを制限する。よって、長江の南の建康を攻めるにあたっては、どうしても赤壁もしくは肥水ルートをたどらねばならなかったのである。

東晋という国のいきさつについては前項の通り。中原を追われた東晋の人間にしてみれば、最後に残された江南の地はどうあっても守り抜かねばならない。なので騎馬民族たちの侵攻より身を守るために、

この二箇所に防衛基地が築かれるのは当然の成り行きであった。のちに赤壁ルート側の基地は西府、淝水ルート側の基地は北府と呼ばれ、それぞれに鍛え抜かれた精兵が配備されるようになる。

   ○

さて、ここまでは外敵からの備え、ということですんなり話が流れる。東晋の性質については、ここからのドロドロした部分をざっくりにでもいいから理解するのが勘所となる。西府と北府はともに国の最重要軍事拠点である。ということは、そこの最高司令官が持つ権限はそのまま東晋内部での発言力に跳ね返る。つまり、ごく当たり前のように西府と北府は反目しあう。……バカどもである。味方同士で勢力を削りあうのだ(もっとも、歴史をたどれば大体において強大な外敵を前に一致団結などというのはドリー夢なケースでしかないわけだが)。

ここで話を軽くすっ飛ばそう。先に結果を見てしまう。劉裕は北府兵としてその経歴をスタートし、やがて北府軍を掌握、そして西府軍を束ねていた偽帝・桓玄を打倒することで西府軍をも併呑した。二大軍事勢力を抑え、かくして劉裕は東晋内での権力を確たるものとする。この辺りの部分を頭に収めておくと、先の話が判りいいかもしれない。

ところで東晋で名宰相と呼ばれる二人、つまり王導及び謝安はこの二大勢力にうまく折り合いをつけることで国内の舵取りを果たした。東晋にとっての幸運は前秦の南下、つまり淝水の戦いがうまい具合に謝安の執政中に勃発したことだろう。淝水の戦いでは北府軍と西府軍が手を取り合い、共通の敵に対することができた。

淝水の合戦の後まもなく謝安は死んだ(大戦を勝ち抜けた安堵のあまりだったのかも知れない)。そして名宰相の死が招くもの、それはリバウンドとでも呼ぶべき現象だった。それまで謝安に頭を押さえつけられていた貴族たちが乱脈の限りを尽くし始める。中でもひどかったのが東晋の皇族である司馬道子司馬元顕の親子。次第に朝廷はこの二人の専横を許し始めるようになった。その中にあって北府軍の長、名族王恭が二人の増長を阻むべく立ち上がる。だが王恭は老獪な司馬親子の策にはまり、あえなく倒されてしまった。王恭の部下であり、北府軍の実働隊長とでも呼ぶべき勇将劉牢之が、裏で司馬親子とつながっていたのだ。

東晋はいよいよ親子の独壇場になるかと思われた。だが新たに別の勢力が立ち上がる。東晋が誇る二大軍閥の片割れ、すなわち西府軍を束ねていた桓玄だ。精兵を率い東上する桓玄の軍。対するは元顕が派遣した劉牢之率いる北府軍。だがこの両者が戦うことはなかった。両軍は遭遇するや合流、そして大挙して建康へと押し寄せた。劉牢之が、今度は桓玄と手を結んでいたのだ。この展開ではもはや防衛もクソもない。あっさりと都は桓玄の手に落ちる。親子は、当然のように殺された。

以上の経緯により劉牢之は「二度の裏切りを果たした男」という汚名を着せられるようになる。その声望は失落、ついには北府軍の長という立場すら追われてしまう。反乱を起こそうにも、彼のもとに集まる兵力は心許ない。かくて彼は一人寂しく朽ち果ててゆく。残った劉牢之派の将軍たちは、軒並み桓玄の手によって粛清されて行った。骨抜きとされた北府軍は、否応なく桓玄の軍閥に吸収されてしまう――

   ○

そろそろこの辺りで劉裕に目を向けてみよう。劉裕が生まれた京口は北府軍の総本山のような町であった。そんな町で生まれ育っているわけだから、当然「兵士」は寄奴少年にとって身近な存在であったに違いない。淝水の戦いが起こったときにはもう21歳。兵卒としてこの戦いに参加していたことも十分に考えられる。この大戦での功績を足がかりとし、まずは北府軍に劉裕あり、と言う風評があらわれ、評判が評判を呼び、そうして劉牢之の目に留まるにまで至ったのではないか。

劉牢之旗下の武将としてその声望を確たるものとした劉裕は、しかし地位としては一士官に過ぎなかった。そのため劉牢之自殺後の北府軍に吹き荒れた粛清の嵐からは免れることができた。それどころか、新しい北府軍の将としての地位を手に入れまでする。

やがて桓玄打倒の大義名分を手に入れた劉裕はそこを切っ掛けとし、一気にスターダムを駆け上がる。それにしても、その登場までに設えられていたお膳立て振りには驚嘆するしかない。まさしく時代に求められた男だったのだろう。

   ◇    ◇    ◇

【概括】
劉裕は新たな流れを作った、という意味での英雄ではない。巨大な時代のうねりの中で、ひとり燦然と「我」を押し出し、そして貴顕にまで上り詰めた男である。やがて位を極め、その威勢も衰えると結局のところ時代の波の中に飲まれていくわけであるが、少なくとも若年時、壮年時に示していたその輝きには中国史上でも類を見ない強さがある、と感じられてならない。

その個性は史記時代以来の伝統的漢民族に、また騎馬民族らに強烈な印象を刻み付けたのでは、と思われる。三国志に出てくる英雄たちですらもはや伝説となりつつあった時代に、彼らに匹敵する、あるいは遥かに大きなスケールを持った武将がいたのだ、ということを改めて紹介したい。それが、当サイトの狙いである。


【資料】
中国武将列伝 田中芳樹/中公文庫
資料ではないけれども。劉裕という武将を知ったきっかけ。しかしいまだ諸葛長民とのやり取り「きみは劉姓、おれは諸葛姓。まるで劉備と孔明のようだな。これはいっちょ手を取り合うしかあるまい」「や、俺は田舎武士上がりだからな。そんなお偉い方と一緒にされても困る」の原典が発見できん……タナカ一流の創作だったんだろうか?
柳絮 井上由美子/中公文庫
こちらは小説。才女の誉れ高かった謝安の姪を主人公に据えた物語。当時の情勢がどのような方向に傾きつつあったか、というのを見ることができる。終盤には劉裕も登場。田舎武士といった感じで描写され、あぁなるほどこういう雰囲気だよな、と感心した。
宋書 沈約/中華書局
第一次史料。無論漢文だ。死ネル。
晋書 房玄齢/中華書局
時代理解の一次史料。当然漢文。
中華の崩壊と拡大 川本芳昭/講談社(中国の歴史シリーズ第五巻)
総論的に。時代の流れを知る上での資料。
融合する文明 羅宗真・住谷孝之/創元社(中国文明史図説5)
まだ読んでる途中だが、ビジュアルイメージの参考のために。
五胡十六国 三崎良章/東方書店
北方騎馬民族たちの歴史。この時代が好きな人は大概「北」が好きなんだよな……
魏晋南北朝 川勝義雄/講談社学術文庫
総論的に。違いはあるはずだが覚えてない。
大唐帝国 宮崎市定/中公文庫
唐が生まれるいきさつの中でなにげに詳述されている。総論ものではこれが一番面白い。チャイ史研究初心者にはイチサダがずば抜けてお勧め。あまりにわかり易すぎてそこで全てわかった気になってしまう罠さえ回避できれば。
中国の歴史(3) 陳舜臣/講談社文庫
小説。三国志に半分使ってるからほかの時代の薄っぺらいこと……
劉裕-江南の英雄宋の武帝 吉川忠夫/中公文庫
日本語書としては最強(っつか唯一)の劉裕専門資料。ハナヂ。
詩伝 陶淵明 南史一/創元社
劉裕と同時代の詩人陶淵明の詩について。劉裕って悪逆非道の徒なのよ!
陶淵明全集/岩波文庫
陶淵明の現存作品すべてを掲載。いまいち漢詩は分かりまつぇん☆
東方年表 藤島達朗・野上俊静/平楽寺書店
中国・日本・朝鮮の元号と西暦との対応表。意外に便利。
中国史稿地図集 郭沫若/中国地図出版社
チャイ史に出てくる地名の地図。強烈!


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